箕作 秋坪 みつくり しゅうへい 1825,12,8 岡山津山藩 生 1886,12,3 東京 没
 蘭学者
旧姓菊池。江戸に出て阮甫に蘭学を学ぶ。1847年大阪に赴き緒方洪庵について蘭学および医学を修め、1850年阮甫の養子となって、その次女と結婚。1853年ペリー来航依頼洋学の必要を痛感し、同年幕府の蕃書和解御用を命ぜられて翻訳に従事。1859年蕃書調所教授職手伝。1862年渡欧、翌年帰国。幕臣に列し、翻訳の業に従い1866年箱館奉行小出秀美がロシアに使わした時、樺太分界交渉に当たり翌年帰国。明治維新政府に召されたが官途に就かず、三又学舎を開いて子弟を養成し、また森有礼、中村正直らとともに明六社を興し、のち師範学校設立に及び1875年東京師範学校摂理となり、高等師範学校の基礎を築いた。1879年教育博物館長兼東京図書館長。1880年東京学士会員。4男1女あり。次子大麓は秋坪の実家菊池家に入り第3子佳吉は理博、第4子元八は家を継ぎ(曙町桜井錠二旧宅近所)女子直子は坪井正五郎に嫁し、一族は学界に根を張る。
櫻井錠二との関連
 1880年東京学士会員・四男元八氏宅は曙町櫻井錠二旧宅近所・
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